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「できるできない」のような「状態を示す」言葉のかわりに「こうしたら良い」ような言葉を使う【レビュー記事】

綜合キャリアトラスト 田畑です。

 

・「私は○○な人間だから」
・「~の状態になりまして申し訳ございません」
・「なんかエラー出た」
・「○○さんが○○したからこうなっちゃったんだよ」
・(落としたではなく)「落ちた」
・(壊したではなく)「壊れた」

自分が腹黒いのは(全然バレてますし)承知のため惜しまず書きますが、
コメント記事を書くぞと決めてから、なんとなくモヤっとしたワード集めをしてみました。

どれもキレイに「自分と関係のないところでそういう状態になった」考え方が透けて見えるからモヤっとしたんだと思います。

 

目新しくもなんともないことですが、私たちの世界を構成しているのは他でもない自分です。
客観的事実ですら主観が絶対入らないことなんてありえません。

ただ、「この人はこれができる、これができない」のような「そういう状態だから」という固定的な考え方を、

「この人はたぶんあっちの仕事のほうが得意、でもこれはお願いしたいからこういうやり方でお願いしてみよう」
という考え方に変換することは、(身につけるには自分を律し続けることが必要ですが)すぐにできます。

 

「なんでできないの?」とかも非常に危ないですね。
言われた本人が、「私はこんなこともできない」と自分で自分の可能性にフタをしてしまうのが何より怖いです。
究極イノベーションとか持続可能性とか(流行りの言葉の)インクルーシブとか全部止めてしまうと思います。

ただ(うっかり言ってしまわないようにするには繰り返し思い込むことが必要ですが)言うのを控えることはすぐにできます。

言葉が人を傷つけるか包むかは日頃の考え方の蓄積が大きいと思いますので、
1秒後に発する言葉のために今考えることを続けてまいります。

 


 

以下記事本文より引用
*プラスハンディキャップ様より掲載のご了承をいただいております。

できるかできないかは自分が決める。障害者への「できない」という決めつけに対して。| Plus-handicap プラス・ハンディキャップ

Plus-handicapをご覧の皆さま、ご無沙汰しております。

私は2008年に発達障害である自閉症スペクトラム障害・ADHD(注意欠如・多動症)と診断されました。それまでは周りとの感覚の違いに戸惑う時間を過ごしてまいりました。昨年書いたコラム「発達障害と診断を受けるまで、自分を「宇宙人」だと本気で思っていた」では、私が障害だと気づかないなりにも、特性に対していろんな対策を取ってきたことを書いてまいりました。

今回は健常者が障害者に対してやりがちな「できるできない」の決めつけに対して思うことを書いていきたいと思います。

どうせ障害があるからできないよね。

これは診断後自分自身がいろいろな場面で耳にしたセリフです。

現在介護職に従事しておりますが、職場以外のところで、発達障害を持ちながら介護職をしているというと「障害があるのに介護職なんてできるの?!」と言われます。その場では事実のみ冷静に話しますが、帰ってから沸々と怒りが込み上げてきます。

特に悔しい思いをしたのは面接の問い合わせのときでした。デイサービスからの転職活動の際、障害はあるが資格もあり、すでにデイサービスで2年実務経験があることを伝えて10社に問い合わせしたのですが、面接にこぎつけられたのは2社のみでした。残り8社は面接すら受けさせてもらえないばかりか、問い合わせの電話対応でものすごく失礼な態度を取られました。その中でも一番腹が立ったのがとあるデイサービスの事業所の採用担当が言い放ったこの言葉です。

「ほんまにできるんですか?冗談言わないで下さいよ。」

薄ら笑いしながらこの言葉を言われたとき、私の頭の中で何かが切れた音がしました。

「不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。面接して採用されたとしても、貴施設には行く気になれません。利用者様に対してもそんな上から目線で支援しているのですか。そういう考えの職員がいる施設では自分が思うような働き方はできないと思いますので、このまま電話を切らせていただきます。貴重な時間を割いていただきありがとうございました。」

そう言って相手が慌てて引き留めようとしてるのを後目に電話を切りました。

できないと判断するのはやらせてからでも遅くない。

 
私が普段から気を付けていることは「やらないでできないと決めつけない」ということです。元来の負けず嫌いな性格にも由来していますが、やらないであきらめてしまうことは、できるのに放棄してしまうのと同じことだと思っています。

健常者の方が障害者に対して「できない」と決めつける要素として次のことが挙げられるのではないかと考えています。

*物理的にできる要素がない(例:両脚がないのに走れない)
*本やネットなどの文献に障害特性としてできないと書かれているのがすべてだと思っている
*「障害者=何にもできない」という先入観
*身近にいる障害者をみて「○○障害の人はこれができない」と一辺倒に思う

まだまだ他にもあるかもしれませんが、個人的な経験からこの4つが大部分を占めているように感じます。

この要素だけでできないと決めつけるのはもったいない気がします。先入観にとらわれずに考えることができれば、出来ることも格段に増えるのですが。

前回、教科書の字体や教室の環境が障害特性と合わないことが原因で、学校で勉強できなかったという状況を、「既成の教科書を使って学校の教室で勉強する」という概念を捨てたことで、学習の機会を獲得することができた話を書きました。『勉強は学校で習うもの』という先入観を捨てたことによって勉強ができるようになりました。先入観を捨て、方法や手段を変えることで、「できる」に変換できます。

できるかできないかは自分で決める。

表題に『できるかできないかは自分で決める』と書きましたが、世の中は学校の成績表とか上司の評価とか「他者評価によってできるできないが決められるシステム」にほとんどを占められています。できるできないを客観的に判断するには他者評価も必要になってきますし、全ての『できるできない』を自己評価だけで決めることはできません。

「じゃあ、できるできないを自分で決められないじゃない。」

そう突っ込まれそうですが、そんな言葉の表面的な意味だけで表題を考えたわけではありません。ここでいう『できるかできないかは自分で決める』というのは

*他者評価や先入観だけにとらわれず、方法や手段を自分ができる方法に変更する
*ネガティブな自己評価をポジティブな方向に見直す
*できないと障害者自身が決めつけず行動を起こす

この3つを行っていくことで、周囲にできないと決めつけられずに済むのではないかということです。行動をする・しないは自分で決めることができるのです。

できるできないを決めるのは自分の行動あるのみ!と書いて、次回以降のコラムに続きます(…って締めくくるんじゃないんかいっ!というツッコミはなしで)。