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『親友とか恩師とか、相手にタグをつける人ほど、大切な人を失いやすいのかもしれない。』を読んで考えること。【レビュー記事】

綜合キャリアトラスト 糸藤です。

タグを付ける人の目線について考えてみました。
タグを付ける人にとって、『親友』や『恩師』は本人の気持ちの中にある位置づけになっていたり、
周りにいる人や身近の方に対して、なんて呼ぶと喜んでもらえるのか、
どの単語を伝えることで自分のことを意識してもらえるか、と無意識に行動しているように感じました。

ポジティブな言葉はさらっと発言すると、言われた本人も気分が良く、また周囲も微笑ましい雰囲気になることもあると思います。
その感動や嬉しさからいろんなところで、繰り返し人を変えて伝えてしまうこともあるかもしれないと考えました。

 

また、自分の気持ちを共有し、理解してもらいたい行動は皆さんもしたことがあると思いますが、
その気持ちが強くなり、自分の気持ちを相手も全く同じならないと気に入らないという気持ちに切り替わってしまうと、
少しでも意見が違うだけで否定する言葉を言ってしまうのではないかとも思いました。

人は、一瞬一瞬の気分によって、意味を持った行動をしたり、周りの人や他人の印象を呼称づけするなどして時には声に出しているように思います。
その行動に振り回される時もあると思いますが、振り回されすぎてしまうと疲れてしまうので、それこそ良い意味で“適当”に対応することも必要であると感じます。

 

ご利用いただいている方々もとてもまじめに真剣に取り組んでくださる方が多く、こちらが伝えることを一生懸命聞こうとしている方もいます。
いつでも全力で取り組むことは大切ですが、最後には息切れをしてしまいます。
時には力を抜き、聞き流す術も活用することも必要ではないでしょうか。

タグを付ける方は、周りの方々を大切にする力加減が上手くないのかもしれません。
作者の方は、客観的に気づきを得て今後に生かしていかれるのだと感じました。

 


 

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「親友とか恩師とかって言葉を使う人って、なんか不安定な人が多いなって思います。未読さんもそういう言葉をよく使っています」

そんなことを言われて「うーん」と考えてみたけれど。

親友と友だちの違いは?先生と恩師の違いは?

親しさとか感謝を込めて、そんな言い方をしていたけれど、なんかそれって重いのかも。言われた側のことをあんまり考えていなかったかもしれない。

「親友」も「恩師」も、ただの「仲のいい人」「お世話になった人」ぐらいで十分なのに、わざわざ「めちゃめちゃ仲の良い友だちの中の友だち」「この人がいたおかげで、自分は救われました!」なんて言うのはどうしてなんだろう。

「未読さんのおかげで!」「未読さんにはなんでも話せる!」なんて強調して言われることを想像してみたけれど、「嬉しい」より「面倒くさい」のほうが大きい気もした。フツーの友だちはそんなこと言わない。ただ話して「楽しいね」「面白いね」で終わる。

余計なタグをつける(つけられる)のは、人間関係をめんどくさくするのかもしれない。

僕の場合は、「役に立たないと居場所がない」みたいな感覚があるかもしれない。存在承認を感じづらくて、何かしら「役に立っている」と思えないと安心ができない。”親友”や”恩師”は、「役に立たなくてもいても良い」と感じさせてくれた存在だったのかもしれない。

ただ、同じタイプを見ていて「嫌だな」と感じることもあった。「自分は役に立てている」と感じると、「あの人は役に立っていない!」と周りに噛みつき出すんです。

人のことって、もっとフラットで、テキトーでいいのかもしれない。

高校時代、「これは神だ!」「これ以外クソだ!」と言うヤツが貸してくれたCDって聴かずに返していた。

「これが好き」でいいのに、なんで「好き」の量を示したがったり、ほかを落とすような言いまわしを入れたりするのか。そんな人にセンスを感じないので別に聴かなくてもいいかなと。感想を言うのでも、「違ったこと」を言いづらいので面倒くさく感じるし。

明暗をハッキリさせる人ってわかりやすいけど面倒くさい気がする。

昔、「シーマン」のCMであったけれど、
「お前が思っているほど、周りはお前のことなんて気にしてないぞ」
なんてシーマンが言っている。

それって「興味がない」というより「ほどよい関係性を結ぶ」手段なのだろう。すでに良い関係性ができているのに「もっと」「足りない」と求めるせいで、求められないことに失望したり悩んだりするのかもしれない。

去年、ある人に「絶対に許さない」と何度も言われたことを思いだした。

そういえば、自分にも「絶対に許さない」「死ねば良いと思っている」みたいな人がいたし、この”ある人”も「恩人」とか「親友」って言葉をよく使っていたなぁと。

「親友」って言葉を使う人は「絶対に許さない人」もセットになっている。それって、周りも”自分も”疲れるなと腑に落ちた。

回避策として。

今までは「こんなこと言ったら傷つけちゃうかもな」と気を遣っていたけれど、相手は割とズケズケと言ってくるので、最近はこっちも気にせず「面倒くさいw」「ウザいw」「サムいw」と言うようにしている。

小出しに伝えていけば「許さない」「死ねばいい」までいかずに済むし、話題が「悪口」「揚げ足」しかない人にもほどよく対応できる。

自分では「愚痴を言っている」なんて自覚がないので「愚痴は嫌」と言っても無駄だけど、「面倒くさいw」「ウザいw」「サムいw」と言われたら、ちょっとは思うところもあるみたいで。

そんな相手のひと言ふた言をことさらに気にしてしまうようなら、「自分は風が吹いただけでも傷つく」と自分のほうに問題があると考えてもいいかも。

結局のところ、人間関係の明暗をはっきりしたがる人は、仲良くしてくれる人、依存先を自分から潰しているのかもしれない。自分を相手にしてくれる人が少ない中で、仲良くしてくれる人がいるから「親友!」「恩師!」と言っちゃうんだろうけど、そうなると重たくなって離れていかれる。

相手は「あなたじゃなくても…」ぐらいの感覚かもしれないし、こっちも「別にあなたじゃなくても…」ぐらいでもいいんじゃないか。特に仕事なんかはそのぐらいの感覚でいいのだろう。

人に期待しすぎて、相手に裏切られたなんて思うかもしれないけれど、それは自分が相手に求めすぎているだけであって、相手は何も変わっていない。

「寄生獣」で人間の新一が持った疑問に、寄生獣のミギーがこう答えていた。

「なぜ出会ったばかりでも、いなくなると寂しく感じるんだろう」
「それだけ人には暇がある。暇がある生物、素晴らしい!」

せっかく”暇”がある状態で生まれたんだから、見失わないようにしたい。

「依存先を増やす」って考え方もあるんだけど「依存の量を減らす」ってことも考えるべきなのかなあ。「親友」をたくさん増やすより「友だち」「知り合い」程度でも怒り、悩みを感じないぐらいにする…みたいな。

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