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道自体がどこかへ消えてしまうことも、フリダシに戻ることもない【レビュー記事】

綜合キャリアトラストの長徳です。

私はこの会社へ、転職で入社をしています。

転職自体は、それほど珍しいことではないかもしれませんが、
以前の職場を退職して、入社に至るまでには少なからず、休職中(=無職)の期間がありました。

 

ちょうどその期間中に、教職に就いている友人の結婚式に招待された経験があります。

お祝いの言葉やスピーチを聴いて、友人が学校ではたくさんの先生や生徒から信頼をされ、
イキイキと頑張っていることを知り、とても誇らしく思いました。

それと同時に、自分が社会から取り残されているような、恐ろしい焦燥感を覚えました。

仕事もしていない自分が、この社会にいて良いのだろうか。
こんな風に社会で必要とされる人になっていけるのだろうか。

退職の時期や就職活動も、ちゃんと計画を立てたはずでしたが、
「一つの仕事を続けていくこと=当たり前」だと考えていた私からすると、
王道から道を変更する選択は、非常に不安なことでした。

 

しかし、その不安定な立場と気持ちを経験できたことは、就労支援をする上で大変貴重なものになりました。

仕事が決まるのか、
新しい環境に馴染めるのか、
選んだ仕事が自分にできるのか…

100%相手を理解するのは難しくとも、同じ経験をした立場で相手の気持ちを想像する為の、ヒントになっていると思っています。

 

筆者の方は、「みんなが進む道から外れた先で新たに出会った面白い人達」「改めて向き合う価値観」、
そして「それらの経験がその後の自分の人生を豊かにしてくれた」と伝えています。
また、「ありのままの自分を見つけられるのは、他でもない自分自身だけ」と締めくくられています。

「よりみち」どころか、立ち止まったり、まわりの足の速さに圧倒されてしまったとしても、道自体が何処かへ消えてしまうことはありません。
ましてや、フリダシに戻ることも無いのです。

今まで重ねてきたことは、よりみちした時間も含めて、自らの経験値を上げてくれます。

成功体験も苦労話も、たくさんの経験が自分にとって「自分らしく生きる為」の材料になっているのだと思います。

 


 

よりみちしたから出会えた、ありのままの私|プラス・ハンディキャップ

私は大学4年生になろうというタイミングで「退学したい」と親に打ち明けた時がありました。

その頃の私は体調が悪くて大学の授業にもほとんど出られず、その後の将来について不安しかなく、とにかく何をどうすればいいのか、まったく分かりませんでした。何より「ストレートで大学を卒業して就職する」という「普通、みんなが進む道」から外れることが怖くてしょうがなかったのです。

結果的には、大学と大学院で過ごす間に計2回留年しました。

いずれもポジティブな理由(専攻分野を変える、海外研修に行くなど)で留年したと説明することが多いですが、実際は退学するより留年してでも卒業する方がいいだろうとか、就職活動がうまくいかなかったなどのポジティブでない理由もいくつかありました。

しかしながら、この大いなる「よりみち」は、私にとって「ありのままの自分」を見つける手掛かりになったと思っています。他人から見たら脇道に逸れたように見えたかもしれない。でも、私にとっては必要な道のりでした。

なぜなら、まず何より、「みんなが進む道」から外れても、人生はそれなりに続いていくことがわかったこと。そして、その外れた先で新たに出会った面白い人達や、改めて向き合う価値観もたくさんあって、それらの経験がその後の自分の人生を豊かにしてくれたと思っているからです。

自分の将来についてどうしたいかについて、はっきりした答えが出たわけではないけれど、この「よりみち」やそこで得た人生の「余白」のようなものによって、私は「みんなと同じ道」の上を歩んでいた時とは違う角度から、自分の幸せ、「ありのままの自分」について考えることができるようになったと思います。

もう一点、「ありのままの私」でいることについて考えたいことがあります。

「ありのまま」でいることは、「わがまま」であることなのでしょうか。

「ありのまま」は自然体で、あるべき自分でいられるような状態であるような表現ですが、一方で「わがまま」というと、自分勝手で周りのことを考えてないようなイメージがあります。

私はよりみちするまでは、「ありのまま」でいたいけど、「わがまま」にはなりたくないと思っていました。

そういう意味では、当時はいつも何かを演じていたのかもしれない。

周りの目を、どう思われるかを気にし続ける。結果、どんな自分でいるべきなのか、どんな自分でいたいのかわからなくなってしまう。

周りの意見には大体同調してしまう。結果、自分の意見がわからなくなる。

その繰り返しで、これらは決して快適なことではなく、嘘をついてるみたいで罪悪感すら感じました。でも、この悪循環からの抜け道もよくわかりませんでした。

そんな中で半ば強制的によりみちしたことによって、私は私を見つめ直すことができました。今も完全に演じてないかというときっと多少は演じてるし、同調もしていると思います。それでも、自分にとって心地よいと思えるもの、そうでないものが以前よりはっきり見えてくるようになってきました。

些細なことで良いんです。

紺色が似合うねと言われるけど、本当はオレンジや黄色の服が着たい。

しっかりしてるねと言われるけど、本当は結構ずぼらなところも知っておいて欲しい。

友達多いよねと言われるけど、本当はいつも孤独感に負けそうになるのだと声を大にして言いたくなることもある。

前より、わがままになったのかもしれない。でも、その方がより過ごしやすい、ありのままの自分なのであれば、そうした自分のあり方は無視しない方がいいと思います。

いつどこでどんな時代を生きていても、ありのままの自分を見つけられるのは、他でもない自分自身だけなのだから。

プラス・ハンディキャップ